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2018.10.13[チーム]

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『俺たちの、ガンバプライド。』第一回:宮本恒靖監督

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ユニフォームの左胸に輝く9つの星。
27年を数える歴史の中で、その時代を彩った、ガンバ大阪にかかわるすべての人によって掴み取った栄光だ。
もちろん、その過程には常に歓喜があったわけではない。
苦しいことも、悲しいことも、悔しいことも。
そのすべてを受け入れ、乗り越え、戦い続けてきた。
そして、歴史は今も続いている。
だからこそ、俺たちは決して屈しない。
青黒のユニフォームを纏う責任と、その胸にあるガンバプライドに賭けて。



あのとき、ガンバ大阪に残した言葉は今、自分自身に向けられている。

07年1月1日。天皇杯・決勝を戦い終えた後、帰阪して行われた解団式。06年シーズン限りでガンバ大阪を退団し、オーストリア1部のFCレッドブル・ザルツブルクに移籍することが決まっていた宮本恒靖は、全チームスタッフが顔を揃える前で最後の挨拶に立った。ガンバ大阪ユースの一期生となった92年から数えると15年。下位から抜け出せなかった時代も、そこから這い上がり、コンスタントに上位争いをできるチームへと成長を遂げた歴史も、その両方を知っているからこそ、未来を託す仲間に想いが溢れた。
「僕はガンバが弱かった時代も知っている。そこから強くなるためにどれだけの時間が必要だったのかも肌身で感じてきた。そして強豪クラブと呼ばれるようになった今の姿を、心から嬉しくも思う。と同時に、だからこそ強いガンバであり続けて欲しい。クラブ、チームが総力をあげて、ガンバが強くあり続けるための努力を続けてもらいたい」

あれから12年の時を経て、宮本は今年の7月、トップチームの監督に就任した。その時点でのガンバのJ1リーグでの順位は16位。そこには『強豪』と呼ばれたかつての雄姿はなく、残留争いに巻き込まれている危機感とその状況を抜け出せない悲壮感が漂っていた。
もっとも、その状況に宮本自身も責任を感じていなかったわけではない。今年も昨年に引き続きガンバ大阪U-23の監督を預かっていたし、ましてや今年はスタートからトップチームとU-23チームが合同でトレーニングをしてきた流れもある。つまりコーチとしてトップチームに関わる機会も多かったからこそ、チームが苦境を脱する力になれなかった自分を悔しく感じていた。だが、過去を変えることはできない。だからこそ、胸にある「責任」は、この先の未来において「強いガンバを取り戻すこと」に置き換えた。あのとき、仲間に語りかけた言葉を、監督としてチームを率いる自分に向けながら、だ。

「僕がプロになった頃、ガンバには明確なスタイルが定まっていなかった。強くもなかった。そこから徐々に自分たちのストロングがどこにあるのかが明確になり、それを実現できる選手が増え、プレーの質が上がり、攻撃的なサッカーを展開できるようになって、相手を圧倒できる試合が増えた。それが05年のJ1リーグ初優勝に始まる『タイトル』の歴史を支えてきた。そのすべての時間に自分がいたわけではないけれど、常に攻撃的に試合を進め、相手を上回るために何をすべきかを考えるサッカーは、常にガンバの歴史に存在した。そう考えれば、そうしたサッカーこそが我々、ガンバの『プライド』であり、だからこそそれを取り戻したいと思う。ボールを大事にしながら相手ゴールに迫る。1つのボールに対して周りが連動して動く。ピッチ上の全員が同じ絵を描きながら、相手を上回るスピード感でそれを展開する。そしてゴールを奪う。もちろんそのベースには、堅守も欠かせない。今のチーム状況を考えれば、理想を描くだけではなく確実に勝ち点3を奪うことも考えなければいけないけれど、そこに並行して、我々の『プライド』を、強豪クラブとしての輝きを取り戻すことも、ガンバで育ち、その歴史を見てきた僕に課された責任だと思っている」

強いガンバを取り戻し、強いガンバであり続けるために、チームを率いる責任を胸に全力で『今』に向き合い、未来に繋げる。

それが、宮本恒靖のガンバプライド。


Interview and text by Misa Takamura